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歴史の時間に教わらない近代世界史(帝国主義時代) [読書]

彩色写真世界の歴史.jpg 「彩色写真で見る世界の歴史」、D・ジョーンス、M・アマラル著、堤 理華 訳、原書房、2019
ISBN:978-4-562-05648-4
 1850年代から1960年代までの帝国主義の時代と言われる近代史を各旬年を象徴する出来事で章立て、1万枚の候補写真から熟慮して選ばれたページ立ての写真200葉で構成されている。そこには政治家や軍人、戦争、学者、芸術家、などの著名な人物のみならず、無名の人々、ファッション、事件等々多岐にわたっている。
 基となる写真は全て白黒写真ということで、撮影された時代を考証しながらデジタル処理で彩色したいうことだ。
 選択から彩色・収載に2年要したと。
 帝国主義の時代という背景なので、欧州での記録が大半だがアフリカ、米大陸、アジア、日本での出来事も網羅されている。
 本ブログサイトが変更になったためテストアップしてみた。
 未完につき、旨くかどうする時間を見付けて記事を追加する。

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テーマに興味があるが、関連内容に瞠目 [読書]

壱人両名.jpg 「壱人両名」、尾脇秀和、NHKBOOKS125、NHK出版、2019
 ISBN:978-4-14-091256-0

 公家の正親町三条家に仕える大島数馬と、京都近郊の村に住む百姓の利左衛門は名前も身分も違うが、同一の人物である。・・・時間の経過や環境の変化で、名前と身分が変わったのではない。彼は大小二本の刀を腰に帯びる「帯刀」した姿の公家侍「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業をする、ごく普通の百姓「利左衛門」でもあった。
 一人の人間が、ある時は武士、ある時は百姓という、二つの身分と名前を使い分けていた。
 江戸時代、彼のように、二つの名前と身分を使い分ける存在形態を「壱人両名」と呼んだ。

 という書き出しで始まる本書は上記のような「壱人両名」者が大勢いた中、各種の事例を古文書から紐解き紹介している。

 江戸時代人々は幕府の奉行の職掌に応じて身分が、武士(上は将軍から下は足軽・岡っ引き・浪人まで)・(公家-基本は朝廷の管轄))・寺社・百姓・町人(前記に含まれない人々全て)に区分されていた。壱人両名者はそれぞれの区分内のみならず区分を越えて生じていたという。

 通常、壱人両名者がその統括者に人別帳等によって通知しておれば問題ないのだが、様々な理由 ―武士は初期には兼職が禁じられていた、百姓は自分あるいは村の事情からなど― 手続きされていなかった場合に何らかの理由で露見し処罰された事情が記録として残っているということである。この場合「両名」が問題なのではなく、「通知しなかった」ことが「統括者を謀かった」として処罰の対象になったと。

 これはこれで興味のある内容だが、今回特に「知らなかった!」と興味深く感じたのは「領地」と「百姓の帰属」の実際についてである。

 領主の支配する領分は将軍が石高を以て分配したものであるから、必ずしも一ヶ所の一艇領域に固まっているとは限らない。大名の場合は国や郡といった一定領域を丸ごと宛がわれるが、(きっかり適合する領地があればそれで済むが、足りない端数があれば)「一円」から遠く離れた地域の村も「領分」の一部として与えられている例が少なくない。 仙台城主伊達氏の領分(いわゆる仙台藩62万石)のうち2万石余は、仙台から遙かに隔たった、近江国や常陸国などの村々に散在している。 p34

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 江戸時代の関東や畿内では「相給」と称する例えば一つの村で百姓が個別に領主が固定され、隣同士でも別の領主の「支配」であることがあった。複数の領主がいるため実務的にはそれぞれに名主とか庄屋もあり、人別帳も異なっていた。 p96

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 当時の政治・経済は米の生産をもとに営まれていたので、人口割合でも百姓が最大、職業・身分としても他を差し置き(年貢を納める)「百姓」のみが一つの区分だったゆえに、管轄が詳しく取り上げられているのだろう。ちなみに、他の資料によれば「町人(家主・家持)」は町として一括して上納するシステムだったようである(間借り人は上納の義務は無かった)。


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中身が濃い [読書]

ベニクラゲ.jpg 小野寺祐紀著、久保田 信監修、時事通信社、2019
 ISBN:978-4-7887-1641-8

 全国学校図書館協議会選定の図書で児童向けに出版されたが、侮るなかれ内容は専門的で「不老不死のベニクラゲ」はもとより、iPS細胞や老化遺伝子などがわかり易く語られている。

 監修者の久保田博士は京都大学付属瀬戸臨海実験所で長らく活躍され、小生の属する同好会が海辺の生き物観察会でたびたびお世話になった方である。ベニクラゲの研究についても熱心に語られ、観察もさせて頂いた。定年退職されて昨年7月に同じ和歌山県白浜町に「ベニクラゲ再生生殖学体験研究所」設立され、広く公開されている。
 ホームページ:https://benikurage2018.com/

 目次から章見出しを以下に

  第1章 発見は偶然から
  第2章 若返ってボンジョルノ
  第3章 細胞にかくされた秘密
  第4章 正解のない、奥深い話
  第5章 歌うサイエンティスト

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百科全書/雑学辞典? [読書]

大阪的.jpg 井上章一、幻冬舎新書521、2018
 ISBN:978-4-344-98522-3

 18世紀なら百科全書?今日では雑学辞典?大阪に関する蘊蓄を95の項目で展開。巷に諧謔している人情・食べ物・商業都市・タイガース狂はもとより、在阪メディア・歴史における時代呼称・音楽などなど今日の大阪人にはなじみの少ない広範な話題が展開されている。ちなみに副題の「おもろいおばはん」は全9章中の1章である。

 しかしながら、惜しむらくは造幣局と桜の通り抜け、中之島公会堂、国内最初の私鉄通勤電車を走らせたのが今日の阪神電鉄であったこと(今尾恵介、2017)などが欠落している。(勿論、グリコ・インスタントラーメン発祥の地であるが、これらはたびたびメディアで紹介されているので今更取り上げられるまでもない)

 「大阪的」で大阪の話題が中心であるが近隣の京都・芦屋・神戸の洗練された文化を大阪の泥臭さを際立たせる薬味として所々に挿入されている。

 断りを入れながらも何度も使われているフレーズがあるので、雑誌か新聞などのコラム欄をまとめたものかと読み進めていたが、あとがきで「産経新聞」大阪夕刊に連載されたコラムを改題、加筆したとのことである。




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家族や周囲の人々にも参考になる [読書]

高齢になる.gif 和田秀樹、新講社、2018
 ISBN:978-4-86081-572-1
 http://www.shinkosha-jp.com/details.jsp?goods_id=2780

 うまく纏められているので、出版社の解説文(抜粋)と目次を引用する。

解説文

 高齢になることへの不安はだれにでもあり、健康に対するものが一番大きいでしょう。
 歳を取ると、脳も体の他の部分と同じように老化していきます。人は85歳という年齢をすぎれば、半分程度の人に認知症の症状が現れてきます。人は高齢になればボケは避けられないといえるのです。
 しかし、認知症の進行には個人差があるし、認知症になっても周りから愛され、長生きもできます。たとえボケたとしても、人生を最後まで幸せに生きることはできるのです。

 本書では、「高齢になると人はボケる」という前提に立ち、たとえボケたとしても最後まで幸せに生きられることを、高齢者専門の精神科医として長年実践してきた著者が説いていきます。
 認知症はだれにでも起こりうる老化の自然な姿です。そのことを素直に受け入れ、「ボケてもいい、幸せな人生で終わりたい」という気持ちになったとき、自分が高齢になることへの大きな不安が消えるはずです。

目次(実際は、各章に含まれる数々のテーマの詳細も8ページにわたり表示されている)
 プロローグ 老いて幸せなら、人生それでよし
 第1章 ボケは幸せの「お迎え」かもしれない
 第2章 「できることをやる・できないことは頼る」でいい
 第3章 「ボケ老人」より不幸な「うつ老人」
 第4章 あなたの身近なボケを愛すること・・・いまからできること1
 第5章 気楽に教えてもらう、助けてもらう・・・いまからできること2
 第6章 楽しみの種を蒔いておこう・・・いまからできること3
 エピローグ ボケると「新しい力」がついてきます

 書名と解説文からは、高齢に直面する人々のためと受け取れるが、「認知症/ぼけ」の内容を理解すると、周りの人の精神的負担が軽減されると納得させる記述があちこちに。

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素晴らしい力作 [読書]

旅する本屋.jpg 「モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語」、内田洋子、方丈社、2018
 ISBN:978-4-90892529-0

 始まりはヴェネツィアの路地裏の古書店だった。通っているうち懇意になった店主から、「代々、本の行商人だった」。しかもイタリア、トスカーナ州北西、アペニン山脈の外れにある山村モンテレッジオの。集落は山の稜線にこぢんまりと固まっている。

 興味を持った著者は資料を集め、何度も村へ通い古老から話を聞き、本書になったと言うことだ。

 この村の人々による本の行商が本格的になったのは19世紀初頭になって小規模ながら出版社がいくつもでき、需要も増えたことによると。

 翻って我が国では仏教経典が奈良時代から公的機関で写経によって始まり、各地に広まった。平安時代には数々の物語や日記などの写本が上流階級で広まり、受領などが領地へ下る際に携行したものが地方に広まったものと思われる。このことは今日出版される古典文学の解説などから知れる。(その後、いつ頃かは未確認だが、版木に彫られ刷られることでさらに行き渡るようになったのではないか)
 
 江戸時代初頭には上方(京・大坂)に出版・販売業者が登場、江戸にも呉服商やその他の店と同様、出店されるようになった。活版印刷も試みたが、欧州に比べ文字の種類が多すぎ効率的でないことから、明治に至るまで、木版印刷が主流であった。
 江戸では元禄時代には出版業者組合が形成されたとある。
 (以上「江戸の本屋さん 近世文化史の側面」、今田洋三、NHKブックス239、1977)

 参勤交代で上府した藩主、幕臣、徴用された人々によって帰藩の折様々な本や絵双紙などが土産として持ち帰られ、各地に広まったのだろう。
 江戸時代17世紀後半になると、庶民の「お伊勢参り、四国八十八ヶ所巡礼、西国三十三ヶ所巡礼など」広く旅することもブームになったことが出版物の拡散に繋がったと思われる。
 江戸に準じて貸本屋なども広まったかも知れない。

 洋の東西を問わず17世紀になって人々に読書が定着したのは興味有るところである。

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楽しい絵本 [読書]

ラスコーの洞窟.jpg 「ラスコーの洞窟 ――ぼくらの秘密の宝もの」、エミリー・アーノルド・マッカリー 絵と文/青山 南 訳、小峰書店、2014 (Original:2010)
 ISBN:978-4-338-28203-1

 本書は先史時代洞窟に描かれた壁画のうち、色彩がほとんど褪せずに残っていることで注目されたフランス西岸ボルドーから東約150kmのところにあるラスコーの洞窟発見の物語を作者による絵も含め、児童用に出版されたものである。

 発見の契機は第二次大戦直前、4人の少年の森の中に見つけた小さな穴の探検からだった。有名になってから時間が経って彼らが書き残したものやインタビュー記事にはいくらかの食い違いがあるそうだが、それらをもとにして本書を作ったと後書きにある。

 この地域にはそれまでもいくヶ所も洞窟壁画のあることが知られていたが、ほとんどが色あせていたということだ。彼らは中学校で先史時代の話を聞き、近くの洞窟で壁画も見せられたという。

 戦争が終わり、公開されたが、多くの観光客で痛みが目立つようになり、閉鎖され、研究者のみが入れるという。そこで1983年近くに洞窟の一部を忠実に再現したラスコーⅡ(牡牛の広間と軸の間:モンティニャック村域)が観光に供されている。

 その後、当地は交通の便が良くないため、移動式のラスコー3も作成され(2015年)、さらに当地に2016年12月忠実なレプリカ洞窟「ラスコー4」がオープンしたと報じられている(21の図版あり)。 http://www.afpbb.com/articles/-/3110959

 50km程北西・北東にある鉄道駅ブリーヴ(Brives)またはペリグー(Perigueux)からなら、それぞれバスが一日1-2本運行されている。と http://jp.france.fr/ja/discover/30174

 2010年フランスを旅した井上氏による当地(ラスコーⅡ)の記録には購入した書籍からの図版も含め詳しい。http://inoues.net/france/lascaux.html

 スペインアルタミラの洞窟については世界史で出てきたように思うが、ラスコーの洞窟についてはどうだっか残念ながら覚えがない。

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十七文字の深い感銘 [読書]

小林一茶.jpg 「小林一茶 ― 句による評伝」、金子 兜太 、岩波現代文庫 文芸236、2014
 ISBN:978-4-00-602236-5

 一茶は芭蕉、蕪村と並んで江戸時代の俳人として何となく知っていた。後二者が旅をして句会を開いたり指導していたということは特に授業を受けたわけではないか本や新聞、テレビなどから知ったような気がしていた。

 一方一茶については信濃に住み農業を生業とする一介の俳人との認識であった。ところが、他の二者と変わらない活動をしたことを本書で初めて知った。宗匠として全国を旅し句会を開いたり、添削したり。しかも彼らより遙かに多くの句を詠んでいることも。

 本書は副題にあるように、数ある句集から『一茶が詠みあげた2万句から,年次順に約90句を精選して,自由な口語訳と的確,精細な評釈を付す.僅か90句の1句1句の中に,あまりに人間的だった俳人一茶の生涯を点描して浮かび上がらせる.一茶を早くから深く味読してきた現代俳句の実作,俳句評論の第一人ならではの一茶の「句による評伝」の試みである.』(本書出版社サイトより。目次も含め)。https://www.iwanami.co.jp/book/b256209.html

目次
 はじめに
 寛政三年紀行――二十九歳(寛政3年) 「蓮の花虱を捨るばかり也」…3句評釈
 寛政句帖――三十~三十二歳(寛政4-6年) 「みやこ哉東西南北辻が花」…2句〃
 西国紀行――三十三歳(寛政7年) 「朧おぼろふめば水也まよひ道」…5句〃
 挽歌――三十七歳(寛政11年) 「炉のはたやよべの笑がいとまごひ」…1句〃
 父の終焉日記――三十九歳(享和元年) 「足元へいつ来りしよ蝸牛」…4句〃
 暦裏句稿――四十歳(享和2年) 「ひとりなは我星ならん天川」…1句〃
 享和句帖――四十一歳(享和3年) 「日の暮の背中淋しき紅葉哉」…5句〃
 文化句帖――四十二~四十七歳(文化元―6年) 「初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉」…15句〃
 七番日記――四十八~五十六歳(文化7-文政元年) 「斯う居るも皆がい骨ぞ夕涼」…28句〃
 八番日記――五十七~五十九歳(文政2-4年) 「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」…11句〃
 文政句帖――六十~六十三歳(文政5-8年) 「旅人や野にさして行流れ苗」…12句〃
 文政句帖以後――六十四~六十五歳(文政9-10年) 「やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ」…2句〃
 あとがき
 岩波現代文庫版あとがき

  著者は一茶を研究し、数々の著書がある。本書に付された評釈はそのような業績をもってはじめてなしえた深い内容であることに敬服した。門外漢の小生が受ける句からの印象を遙かに凌駕している。

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意外に難しいことが [読書]

月のきほん.jpg 「月のきほん」、白尾元理、誠文堂新光社、2017
 ISBN: 978-4-416-61759-5

 {ゆかいなイラストですっかりわかる}
 副題:ウサギの模様はなぜ見える?満ち欠けの仕組みは?
    素朴な疑問からわかる月の話

 ということで児童書かと思いきや、どうしてどうして却ってすっきりしない事柄がいくつも。
 例えば、「月は地球の周りを回っていると言うことだが、実際には地表から1,750km内の地球と月の『共通重心』の周りを回っている」とある。さらに、「地球も月も、この共通重心の周りを回っている」と。ネイティブアメリカンだったか、飛翔している鳥を捕獲するのに両端に石を括った縄を空中に放り投げる方法があった。両端の石の都合で縄が回転して獲物を捕らえる。そういった振る舞いが浮かんでくるが・・・はたして。そして、そうなれば共通重心は地球の自転と共に地下1,750kmを周回しているのだろうか。

共通重心.JPG
 「球もこの重心の周りを回っている」という実際がなかなか浮かばない。博物館などの太陽系あるいは地球と月の運動模型など三次元の表現を見ればわかり易いのだろうか?

 また、「今年(2017年)はスーパームーンが起こらない」とあるが、先日(12月4日)スーパームーンとして新聞紙面に写真が載ったりしたが?疑問。しかし、本書にこの言葉は「天文学的に定義された言葉ではない」とある。国立天文台のホームページも同様の説明で、この日の月は「今年最大の満月」とある。本書では「実際的なスーパームーン」は約413日周期で起こることになり、暦年では起こらない年もあると言うことだ。

 一方、地平線で見る月と真上の月の大きさの実際の違いなどは予想していた通りだった。潮汐との関係で、常々場所により満ち干の差に違いが有ることの疑問は解消できた。太陽暦と太陰暦については知っていたが、「太陰太陽暦~19年7閏法」なるものに新たな興味を持った。
 
 その他内容が多岐にわたり、素晴らしい。

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テーマもさることながら、イラストが素晴らしい [読書]

はかりきれない.jpg 「はかりきれない世界の単位」、米澤 敬 著・日下 明 イラスト、創元社、2017
 ISBN:978-4-422-70107-3

 人や動物の身体、活動、習慣などに由来、日常生活や仕事の上からの必要性、自然現象の説明のため考案され使われていたり、今日では別の単位系(国際単位系)に代わられたりしているものが多い。(特定の職業や趣味の集団でそれぞれの単位が今でも使われているものだろうか)

 本書にはそれぞれの単位で基準となるものにばらつきがあったり、測定対象が物体で無かったり、測定に特殊な機材が必要だったり、感覚的であったり哲学的・思考的なものなどを集めており「はかりきれない」という修飾語を冠しているのだろう。
 本邦を始め、古代中国・インド・欧州そして今日的なものまで50種の単位が取り上げられている。例えば、白長須鯨(しろながすくじら):白長須鯨で取れる油に換算した他の鯨から採れる鯨油量。和裁に使われている鯨尺は鯨の髭の長さに由来する別の長さの単位。
 「白長須鯨」は日本よりも米国で発案されそうな単位だが、添えられている言語は日本語だ。米国ではそのような換算の必要性が無かったのか?

 人々の暮らしの中で必要に迫られ登場した単位の数々に発想の妙や、豊かさを感じる。

 添えられたイラストも素敵だ。

 実用性は?どのようなものを測っていたのか(実例の提示がある例も有るが)。などいろいろ想像する。

 本書は「世界を旅するイラストブックシリーズ」の一冊で、他に「翻訳できない世界のことば」、「誰も知らない世界のことわざ」などがある。因みに「世界のことば」の日本語では「わび-さび、こもれび」などが取り上げられている。

 なお、王の前腕 Konigliche Elle (oはウムラウトo)が目次には腕前となっている。

 イラストの一例:
はかりきれない1.JPG

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